最終更新2021.05.26
1983年5月26日の12時0分に、後に昭和58年日本海中部地震と命名されたマグニチュード7.7の地震が発生し、東北地方北西部に大きな被害をもたらしました。
震央は秋田県能代沖で、津波を伴っていました。
この地震で発生した液状化現象は、津軽砂丘、能代砂丘を始め、砂丘地帯が目立ちました(図1)。新潟地震では逆に砂丘地帯では液状化現象が発生せず、なぜ日本海中部地震では砂丘地帯で発生したのか、大きな疑問でした。
日本大学応用地学科(その後地球システム科学科、現在地球科学科)でも陶野郁雄氏の要請を受けて取り組みました。特に重点的に調査を行った津軽砂丘は、顕著なパラボラ型砂丘(図2)が発達するところで、その下に台地が隠れているところもある(図3)など、新潟砂丘とは全く異なる地質構造をしていることが分かりました。その特有の構造が液状化現象をもたらしたものと思われます。この点については、遠藤:日本の沖積層(2017、改訂版)のp.312-319に図・写真を含めて解説していますので関心のある方はご覧ください。
パラボラ型砂丘の出来方
横列砂丘の一角が、強風によって壊され、そこからヘアピンの様な長く伸びた砂丘〈縦列砂丘)が発達していく(ヘアピン砂丘と呼ぶ人もいる)。パラボラ型砂丘の内部は風により吹き抜けるため凹地(吹き抜け凹地)となる。
引用文献
・遠藤邦彦(2017.4)改訂版日本の沖積層ー未来と過去を結ぶ最新の地層ー.冨山房,475p.
・遠藤邦彦(1987)パラボラ砂丘ー液状化現象との関連でー.液状化層の堆積構造に基づく液状化深度の推定に関する研究,昭和61年度文部省科学研究費補助金(自然災害特別研究)研究成果報告書(研究代表者:陶野郁雄),67-71.
・桑原 徹・遠藤邦彦・上杉 陽(1987)津軽平野の地盤地質.液状化層の堆積構造に基づく液状化深度の推定に関する研究,昭和61年度文部省科学研究費補助金(自然災害特別研究)研究成果報告書(研究代表者:陶野郁雄),49-55.
・陶野郁雄(1987)液状化層の堆積構造に基づく液状化深度の推定に関する研究.昭和61年度文部省科学研究費補助金(自然災害特別研究)研究成果報告書,179pp(+資料編51pp).
下記,陶野郁雄氏の液状化に関する文献もご覧ください。
1983年5月26日の12時0分に、後に昭和58年日本海中部地震と命名されたマグニチュード7.7の地震が発生し、東北地方北西部に大きな被害をもたらしました。
震央は秋田県能代沖で、津波を伴っていました。日本における液状化現象の調査・研究を長らくリードしてこられた陶野郁雄理事から思い出の記が寄せられていますので、是非お読みください。
大地震の際に生じる砂地盤の流動化現象については古くから知られていましたが、この現象は1964年に発生した新潟地震およびアラスカ地震によって国際的に広く認知され、詳細な研究が進められた結果、 砂地盤の液状化現象として確立されたものです。
陶野郁雄さんは、新潟地震後、1978年宮城県沖地震による液状化現象を調査され(文献1)、1983年日本海中部地震では地震直後に現地に赴かれ、極めて詳細な現地調査を実施し、さらに液状化現象の大規模なトレンチ発掘を初めて実行されるなど(文献2-12)、その後も含めて日本の液状化現象の研究の推進役となってこられました。同氏を中心に進められてきた業績は多数に及びますが、その主なものは以下の通りです。
(K.E.)
1. 陶野郁雄・安田進(1978)宮城県沖地震による液状化現象.基礎工,6,No.11,113-120.
2. 陶野郁雄・安田進・社本康広(1983)日本海中部地震による液状化災害.基礎工,11,125-131.
3. 陶野郁雄・安田進・社本康広(1983)日本海中部地震による液状化現象とその被害状況.土と基礎,31,13-20.
4. 陶野郁雄・社本康広(1984)地盤特性と液状化現象-日本海中部地震の場合ー.地盤震動シンポジウム,日本建築学会,12,57-66.
5. 陶野郁雄・社本康広(1985)日本海中部地震による液状化災害.液状化層の堆積構造に基づく液状化震度の推定に関する研究(昭和61年度文部省科学研究費補助金(自然災害特別研究(1))研究成果報告書,8-48.
6. Tohno, I. and Shamoto, Y. (1985) Liquefaction Damage to the Ground during the 1983 Nihonkai-Chubu(Japan Sea) Earthquake in Akita Prefecture, Tohoku, Japan. Natural Disaster Science, 7, 67-93.
7. Tohno, I. and Shamoto, Y. (1986) Liquefaction Damage to the Ground during the 1983 Nihonkai-Chubu(Japan Sea) Earthquake in Aomori Prefecture, Tohoku, Japan. Natural Disaster Science, 8, 85-116.
8. 陶野郁雄(1986)液状化現象から見た砂質堆積物の物理的・堆積学的特徴.地質学論集27号[都市地盤の形成史と地層の液状化],15-42.
9. 陶野郁雄・社本康広(1986)地形・地質分類に基づく液状化危険度の予測.日本地震工学シンポジウム論文集,7,103-108.
10. 陶野郁雄(1987)液状化層の堆積構造に基づく液状化深度の推定に関する研究.昭和61年度文部省科学研究費補助金(自然災害特別研究)研究成果報告書,179pp(+資料編51pp).
11. Yasuda, S. and Tohno, I. (1988) Sites of reliquefaction caused by the 1983 Nihonkai-chubu earthquake. Soils and foundations, 28, No.2, 61-72.
12. 陶野郁雄(2013)液状化現象.デジタルブック最新第四紀学(DVD版),日本第四紀学会
陶野郁雄
1983年5月26日正午に東北地方北西部で大変強い地震が発生した。その時私は国立公害研究所の研究室で揺れを感じた。すぐに食堂にあるテレビに向かい秋田において災害が発生したことを知った。
当時基礎地盤コンサルタンツにおられた安田 進さんから研究室に電話がかかってきた。東大の石原研而先生も調査に出かけるそうなので、東工大として一緒に調査に行かないかとの誘いを受けた。そこで、清水建設技術研究所の社本康弘君に電話し、少し前まで勤めていた東工大建築の学生2名を連れて参加することにした。
翌朝1番の飛行機で石原先生などと共に秋田空港に向かった。基礎地盤の方々も加わり秋田空港ではかなりの人数となっていた。石原先生に言われて空港において予め用意されていた地図の前で30分位青森と秋田のどの辺で液状化が生じている可能性が高いかを話した。
その後、石原先生と安田さんのグループ、そのほかの東大グループ、東工大グループの3グループに分けて調査を行い、連絡先は基礎地盤の秋田支店長とした。東大の2グループは秋田市内と八郎潟に向かった。一方、私たちは津軽平野に向かった。国道などは通行止めで青森に行けないことを知り、角館から田沢湖西側の山道を抜け青森に向かった。林道まで頭に入っていたので崩れて通れないところを避けながら青森に向かった。
殆ど飲まず食わずの状態で弘前に着いたのは既に午後2時を回っていた。
弘前で昼食を取った後、岩木川に沿って北上すると少しずつ液状化の痕跡が見られるようになって来ました。最初に大規模な液状化現象が見られたのが、 下車力 でした。
その後、 富萢 に行きました。
そこで手分けをして調査していたら、学生が村の人を連れてきて、方言で何を言っているのか分からないので、聞いてほしいと言ってきました。
村人は山の上地区で地震によって大きな穴ができているといって案内をしてくれました。
それが、直径7mもある大噴砂孔でした。
学生たちは東工大建築学科の腕章とヘルメットをしていたことから、周りの調査を社本君たちに任せ、山の上地区の家1軒1軒案内していただき、家の方から被害状況を聞き、調べ、そして応急処置のアドバイスをしてまわりました。
中には極めて危険な家屋もあり、今晩比較的安全な近くの家に泊まってほしいと言うこともありました。
調査は既に真っ暗となった午後8時過ぎまで行いました。
弘前に戻ったのは、午後9時半を回っていました。そこで、開いている店を探し、夕食を取りました。弘前に泊まろうと連絡したところ、東大グループが大館に泊まっているのでそこに行ってほしいと言われました。
そこで、ホテルに連絡したところ何時になっても構わないから是非来てほしいと言われ、大館に向かうことにしました。ホテルに着いたのは午前1時近くでした。私が案内されたのは最上階の特別室でした。別室がいくつもあり、午前1時半頃から打ち合わせを行うところと飲むところを用意できました。これが、調査初日です。
それから津軽には1987年まで都合100日以上調査に訪れることになりました。
(続く)
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