1984年9月14日は御嶽崩れ(長野県西部地震)があった日

2020.09.14

1.御嶽崩れ(長野県西部地震)

遠藤・隅田

 1984年9月14日には長野県西部地震が発生し,後に御嶽崩れとよばれた山体崩壊が発生しました.地震のマグニチュード6.8で,震源は御嶽山の約10㎞南東で,まさに直下型地震が御嶽山を襲ったわけです.

 

写真1 御嶽崩れ空中写真(Endo et al., 1989)(撮影:朝日航洋)
写真1 御嶽崩れ空中写真(Endo et al., 1989)(撮影:朝日航洋)

 この地震によって御嶽山やその周囲には多数の斜面崩壊が起こりました.中でも御嶽山の南側の尾根の一つがほとんど丸々崩壊しました(写真).この卵型の崩壊地形は450mⅹ1300m,崩壊土量は3400万m3 と見積もられています.

図1 長野県西部地震によって引き起こされた岩屑なだれ,岩屑流発生地点の位置図 (Endo et al.,1989)
図1 長野県西部地震によって引き起こされた岩屑なだれ,岩屑流発生地点の位置図 (Endo et al.,1989)

 崩壊した尾根をつくっていた溶岩や火山灰・土壌の大小のブロックが大量に流下し、伝上川を下り,濁川に合流し,さらに王滝川に下って2㎞程流下し、王滝川の狭窄部で止まりました.崩壊源からの流下距離は約13㎞,停止位置との高度差は1600mでした.濁川温泉の宿は深く埋まり、犠牲者が出ました.

 

 ここで大事な情報は,地震の発生時刻は午前8時48.9分,下流で作業していた森林作業員が8時49分に雷鳴のような大きな音を聞いていることで,崩壊の発生はほぼ地震発生と同時と見られることです.さらに,流下距離10㎞付近で,上記の流れが8時56分に通過したと目撃されているので,7分で10㎞を通過したことになり,その流下速度は時速70~90㎞となります.

 

 このような高速な流れは,岩屑なだれとよばれます.私たちはその堆積物を調査して、第1波、第2波、第3波に分けました.第1波は最初に到達したもので,溶岩ブロックや火山灰・土壌のブロックがそのまま堆積した岩屑なだれ堆積物の特徴をもったもの,第2波はブロックはほとんど水でばらばらになったマトリックスを形成しているが表面はやや凹凸を示すもの、第3波は水で飽和されて表面が滑らかな平面になっているもので,下からこの順番になっていました.

 

 私たちは,崩壊源から出発した岩屑なだれが,谷の斜面などの表層物質や植生を削り取って取り込みながら高速で流下し,継続流は湧き出す大量の水を取り込み,岩屑流に姿を変えながら流下していったと考え,総堆積量は3400万m3から増量して、5400万m3となったと考えました.こうした流下後にわかる流下時の様子は続報で見て頂きたいと思います.

 

 以上は,下記の論文から紹介しました.

K.Endo, M.Sumita, M.Machida & M.Furuichi (1989) The 1984 Collapse and debris avalanche deposits of Ontake Volcano, Central Japan. Volcanic Hazards (J.H.Latter ed.), 210-228. IAVCEI Proceedings In Volcanology 1.

写真3

第1波のシマシマ,境界は直線的で混じりあうことがない(撮影:町田光雄)

 その結果の一つが町田君が描いた図2です.細長い個々の帯は,色合いを異にする溶岩塊でできていたり,黒色土壌であったり,褐色ロームであったり,帯と帯の間はまじりあうことなくシャープに分かれています(写真3).それぞれ波状を呈したり皺をつくっていたりしますが,基本は並行しています.私たちはこの帯のでき方は,水に飽和されていず,多様なブロックが全体としてはまじりあうことなく流れ下る岩屑なだれの特質を表していると考えました.通常の岩屑なだれは,堆積場に多数の流れ山を残します.流れ山は普通は同一の,あるいは複数のブロックで構成されています.そういう流れが,ものすごい勢いで尾根に乗り上げ、溶岩台地上に残されたのですから,流れ山になってもおかしくない個々のブロックが流れによって引き伸ばされて帯状になったのだと.

写真4

崖に張り付いた第2波の堆積物(撮影は遠藤)

 第1波の後すぐに第2波が来ましたが,第1波によって削られた斜面から大量の地下水が噴出して,流れの性質はその水を大量に含んだものになりました.しかし水によって飽和されることはなく,谷の斜面に張り付いて残るほどの粘着性を持っていました(写真4).さらに時間をおいて発生した第3波は大量の水で飽和された,大きな岩塊を含まない方規模な泥流状のものでした.この第2波は伝上川の谷の中を流れ下り濁川に合流しました.したがって溶岩台地の上は第1波の堆積物が薄く引き伸ばされて堆積した後,後続流に覆われることはなかったのです.

写真5

雪面の堆積域に流れ山状に突き出た岩屑なだれ堆積物のブロック(撮影は遠藤)

 実は,この崩壊で発生した流動体をめぐって議論がありました.濁川やさらに下流の王滝 川の谷底には第1波の堆積物を第2波の堆積物が覆ってたまっていました.これを見た研究者は斜面からの大量の地下水全体としてはの流出を考えて,水で飽和された岩屑流であると考えました.写真5は柳瀬というあたりです,第2波、第3波の堆積物が表面に露出していますが,ところどころに第1波の堆積物が顔を出しています(赤色部;写真5).褐色でややごつごつしている部分は第2波です.

写真6

堆積域の下流側は第2波と第3波が主.柳ヶ瀬付近.平滑な第3波上を歩く(撮影:町田光雄)

 第3波は水で飽和されていたため、表面が滑らかになっており、私たちはその上を歩いています(写真6).しかし、第3波は川沿いに限られ、途中から発しているのでごく小規模なものと思われます.

 私たちは、山体崩壊から出発した流動体は、基本は水に飽和されず,ブロック構造を残した岩屑なだれ堆積物と考えました.溶岩台地上のシマシマ模様の堆積物はその最初の顔つきを反映したものと考えました.

 以上の様に見てくると,溶岩台地上の第1波の堆積物は、岩屑なだれ堆積物の初元的な特徴を見る上で貴重なもので,その内部構造が反映されたものであることが良く分かると思います.そのような流れがどのように下流に向けて変化していったのか,その流動を引き起こしたものは何なのか,などの議論のうえで大事な観察結果の一つであると考えています. 

(遠藤,隅田)

引用文献

Endo,K., Sumita,M., Machida,M., and Furuichi,M.(1989) The 1984 Collapse and Debris Avalanche Deposits of Ontake Volcano, Central Japan. IAVCEI Proceedings in Volcanology 1, J.H.Latter(Ed.), Volcanic Hazards, 210-229.

2.御嶽崩れ(長野県西部地震)続

中央台地に乗り上げたシマシマ模様の正体は?

写真1 崩壊源(撮影:町田光雄)
写真1 崩壊源(撮影:町田光雄)

 崩壊源(写真1)から直接下る谷は伝上川で,上述の第1波(岩屑なだれ)は伝上川を約2㎞下り西側から下ってくる濁沢(合流後濁川となる)の谷と合流します(図1).

図1

(Endo et al., 1989に基づく)

図2 中央台地に残された第1波のシマシマ模様―現地調査と空中写真判読から作成した町田光雄の原図に基づく  緑は植生が残っていた範囲,茶色の打点部は第2波
図2 中央台地に残された第1波のシマシマ模様―現地調査と空中写真判読から作成した町田光雄の原図に基づく  緑は植生が残っていた範囲,茶色の打点部は第2波

 この時,伝上川と濁川の間にあった平坦な尾根(溶岩台地:中央台地と仮称)の上を第1波が乗り上げてシマシマ模様を残し,乗り上げなかった本体はそのまま伝上川を下って、濁川の谷に入りました.その結果、溶岩台地(中央台地や左岸台地)の上には第1波の堆積物が残されました(写真2,3,図2).この堆積物は赤褐色や灰色,暗褐色、黒色など多様な色合いを示す縞々を呈していました.私たちは卒論生の町田君や古市君らと共に現地調査を行い,空中写真も参考にして溶岩台地上に残されたシマシマの堆積物や濁川、王滝川の谷を埋める堆積物(山体崩壊に発する岩屑なだれ堆積物)の特徴を記載しました.

写真2

中央台地南部の第1波 (撮影:町田光雄)