1983年10月3日 三宅島噴火

2020.10.03

 10月3日は,1983年10月3日三宅島噴火が起こった日です.

噴火後の新澪池付近(赤外カラー,アジア航測㈱撮影・提供)
噴火後の新澪池付近(赤外カラー,アジア航測㈱撮影・提供)

 三宅島は2000年にも噴火し,長期にわたる火山ガスの放出が続いて,島民の帰島までに長い期間を余儀なくされた噴火として,皆さんの記憶に残っていると思いますが,その17年前にあった噴火です.

三宅島地図
三宅島地図

 この噴火は10月3日午後3時25分頃に二男山付近で始まり,割れ目火口がみるみるのびて,南南西に向かった割れ目火口は16時40分ごろには島の南端に近い新澪池に達し,さらに海岸付近にタフリングを形成しました.噴火は10月4日の0時45分頃終了しました(実質約9時間).

 私たちはこの噴火の調査を1週間後から開始しました.その経緯と調査結果の概要は,以下の「三宅島噴火を調査して」(日本大学文理学部学窓,1984)をご覧ください.図や写真もあります.

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 また日本火山学会はこの噴火の特集号を出版しています【三宅島の噴火―1983年-.火山29巻特集号,352pp.】.

この特集号には私たちも,「1983年三宅島噴火の火山灰層位学的研究」(遠藤・宮地・千葉・隅田・坂爪,p.184-207)を執筆しました.

新澪池付近およびその北部に生じた火口、火砕丘と溶岩の分布
新澪池付近およびその北部に生じた火口、火砕丘と溶岩の分布

 この噴火で特にユニークなことは,タフリングが形成されたことです.タフリング全体は3日後に台風のため侵食されてしまいましたが,その断面がきれいに残りました.このタフリングの堆積物については,隅田まり「1983年三宅島噴火で生じたリング状砕屑丘」(火山,30(1)11-32,1985)が刊行されていますので,ご覧ください.

 

(注)この段階では新澪池周辺の火口には、北から,A,B,C,Dの名称を用いたが,上記特集号では,統一名称に沿って,AはPに,BはQに,CはRに,DはSに改めている.

 三宅島は歴史時代に合計15回の噴火をしたと考えられていますが,この特集号の宮崎務さんの論文を参考にすると,

 

1085年噴火--69年--1154年噴火--315年--1469年噴火--66年--1535年噴火--60年--1595年噴火--48年--1643年噴火--69年--1712年噴火--51年--1763年噴火--48年--1811年噴火--24年--1835年噴火--39年--1874年噴火--66年--1940年噴火--22年--1962年噴火--21年--1983年噴火--17年--2000年噴火--?

 

 最近の4回の噴火の間隔は約20年です.2000年からとすると次の噴火が起こってもおかしくないということになりますが,2000年噴火はそれ以前の噴火とは噴火の様式が異なり,噴火の仕組みそのものが異なる可能性があるので,単純ではありません.

 

 次回は噴火について詳しく解説いたします.