7月12日は1993(平成5)年北海道南西沖地震があった日

最終更新2020.08.17

2020.07.12

 

トレンチ調査

1.北海道南西沖地震

中村裕昭

 この地震は私にとっても特に印象に残っている被害地震の一つです.奥尻島にも入り,追加された写真1-1の惨状を目の当たりに見てきました.写真1-1の説明文にある津波火災の脅威を私は初めて知らされました.

 またこの地震の印象の2番目はやはり写真2で紹介いただいた砂礫層の液状化のトレンチ調査です.記事に書いていただいているように砂脈内を礫が立ち上がっている様子を確認しましたが,それは砂脈の下半部で砂脈の上半部には礫が見られず,液状化層から地表に噴出する過程で砂脈内で粒子が見事に淘汰されているのが非常に印象的でした.即ち液状化層は砂礫層であったが,地表の噴砂は細砂から中砂であったということが強烈な印象として残りました.

図5 調査位置図(中村ほか,1998)
図5 調査位置図(中村ほか,1998)
図6 砂脈内でのサンプルの位置(中村ほか,1998)
図6 砂脈内でのサンプルの位置(中村ほか,1998)
図7 砂脈内での粒度組成の垂直的変化(中村ほか,1998)
図7 砂脈内での粒度組成の垂直的変化(中村ほか,1998)

引用文献

中村裕昭・似内 徹・平野圭一・稲葉宏幸・稲葉由紀子・福原 誠・北田貴光(1998)液状化砂脈内の物理特性と力学特性.平成7年〜平成9年度科学研究費補助金 (基礎研究 (A)(1) 研究成果報告書「液状化による砂層の堆積構造の変化が強度特性に及ぼす影響に関する基礎研究」,53-60.

2.トレンチ調査の写真

2020.08.17

この機会に上記トレンチ調査の遠藤会員・陶野会員が写した写真を幾つか追加しました.

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・北海道南西沖地震について

2020.07.12

遠藤邦彦

 7月12日は北海道南西沖地震があった日です.この地震による大津波は奥尻島に大きな被害をもたらすなど,大変注目された地震でした.

 この地震は,1993年7月12日午後10時17分に奥尻島の北西沖で発生(図1), 震源の深さ34km,マグニチュード7.8で,奥尻島をはじめ対岸の渡島半島西岸に,津波被害と地盤の液状化現象を引き起こしました.津波は奥尻島の西岸で最高31.7mまで遡上しました.奥尻島の対岸の渡島半島西岸を含めて地震・津波による大きな被害が生じました.

写真1-1 北海道南西沖地震で発生した津波と火災で壊滅的被害を受けた奥尻島青苗地区=1993(平成5)年7月13日午前、共同通信社ヘリから(写真提供:共同通信社)*奥尻町記録書から転載
写真1-1 北海道南西沖地震で発生した津波と火災で壊滅的被害を受けた奥尻島青苗地区=1993(平成5)年7月13日午前、共同通信社ヘリから(写真提供:共同通信社)*奥尻町記録書から転載
写真1-2 地震以前の青苗地区(提供:奥尻町)
写真1-2 地震以前の青苗地区(提供:奥尻町)
図1 北海道南西沖地震の震源の位置と液状化発生地点(陶野,1998)
図1 北海道南西沖地震の震源の位置と液状化発生地点(陶野,1998)

 図1には震源の位置と共に,液状化現象が震源から250㎞の範囲で認められたことが示されています(陶野,1998)

写真1-3 北海道南西沖地震 奥尻町記録書の表紙
写真1-3 北海道南西沖地震 奥尻町記録書の表紙

 日本中に大きな衝撃を与え,我々の記憶にも鮮明に焼き付けられた地震でしたが,地震発生から約3年後に,奥尻町役場から『北海道南西沖地震 奥尻町記録書』(奥尻町,255頁,1996年,写真1−3)が発行されました.多くのカラー写真や資料,住民の証言等によってによって災害の実態や復興の過程がよくわかる,大変優れた,かつ、非常に貴重な記録です.

 この津波到達直後の様子を示す斜め写真1−1はこの本に掲載されています.

 津波に関してはその後多くの機関が調査を実施しました.私たちも瀬棚のやや南,太櫓(フトロ)川河口部の砂丘上を津波堆積物が覆っているのを認めました(日本の沖積層,p.333-339).

図2 檜山地域の液状化分布図(陶野、1998)
図2 檜山地域の液状化分布図(陶野、1998)

 私たちはまた,液状化現象について渡島半島西岸において、特に後志(シリベシ)利別川に沿って詳しい調査を行いました.

  後志利別川河口から約3km上流の真栄橋の上流側左岸の堤外地では噴砂が多数列をなしていたため,6か所(A~F)のトレンチ調査を行い噴砂の地下での様子を明らかにしました(図4).

 地表から約2~3m掘削したトレンチの壁面には大小様々な多数の砂脈が確認され,充填物の下部に、下位の砂礫層から礫混じり砂~礫が砂脈中を立ち上がる様子が確認されました.

 トレンチ壁面に認められる砂脈には,液状化しなかった砂層を貫くもの,地表まで達しないもの,砂脈になりきらず砂漣状の模様になるものが見受けられました(石綿ほか,1998)

 液状化は,地下水で砂などの粒子の隙間が満たされている場合に発生するため,貫かれた砂層は液状化発生当時に地下水面より上位にあったといえます.

 

図3 北檜山町新栄橋左岸の堤外地で発生した地盤被害状況(石綿ほか,1998)
図3 北檜山町新栄橋左岸の堤外地で発生した地盤被害状況(石綿ほか,1998)

(本図中心よりやや右の噴砂列においてトレンチ調査を行いました.詳細位置を図右上に示します.)

図4 トレンチ壁面の断面スケッチ(石綿ほか,1998)
図4 トレンチ壁面の断面スケッチ(石綿ほか,1998)

 

 私たちは図2の今金町豊田の豊田橋付近の河川敷においても液状化のトレンチ調査を行いました。

 ここで特に注目されたのは,最新の旧河道堆積物である砂礫層が液状化を起こし,砂脈内を礫が立ち上がっているのが確認されたことです(写真2;遠藤ほか,1998中村ほか,1998;遠藤,2017).

 

写真2 今金町豊田橋付近のトレンチ断面に現れた礫を含む砂脈(遠藤,2017)
写真2 今金町豊田橋付近のトレンチ断面に現れた礫を含む砂脈(遠藤,2017)

引用文献

奥尻町(1996)北海道南西沖地震 奥尻町記録書.北海道奥尻町役場,255pp.

遠藤邦彦(2017)日本の沖積層 改訂版: ─未来と過去を結ぶ最新の地層─.冨山房インターナショナル,475p.

陶野郁雄(1998)液状化による砂層の堆積構造の変化が強度特性に及ぼす影響に関する基礎研究.平成7年〜平成9年度科学研究費補助金 (基礎研究 (A)(1) 研究成果報告書,110p.

陶野郁雄(1998)1993年北海道南西沖地震の概要と液状化災害.上記報告書,5-10.

鈴木正章(1998)後志利別川流域低地の沖積層.上記報告書,11-17.

石綿しげ子・遠藤邦彦・陶野郁雄(1998)垂直断面から見た液状化砂脈の堆積構造(真栄橋).上記報告書,18-29.

遠藤邦彦・陶野郁雄・高宮浩一・橘川貴史・小森次郎・鈴木正章(1998)液状化による砂礫層の堆積構造の変化-1993年北海道南西沖地震で発生した砂脈・液状化層における礫の再配列を中心に-.上記報告書,30-45.

中村裕昭・似内 徹・平野圭一・稲葉宏幸・稲葉由紀子・福原 誠・北田貴光(1998)液状化砂脈内の物理特性と力学特性.上記報告書,53-60.