3月31日は2000(平成12)年有珠山2000年噴火があった日

最終更新2022.4.1

2020.03.31

  今日は、2000年3月31日に有珠山が噴火した日です。

 

 この噴火は3日前から火山性地震が多発し、30日には2400回余にも達したため、住民に避難勧告や避難指示が出され、16000人の住民が避難した中で発生した。 

 日本の火山噴火の歴史の中でも、「噴火予知の成功例」として挙げられるが、長年にわたる火山研究者と地元自治体の連携した努力のたまものといえるだろう。 

 

目次

1.噴火経緯

2.ハザードマップ

 

写真1 噴煙
写真1 噴煙

1.噴火経緯

 

  最初の噴火は有珠山の中では西のはずれあたりに位置する西山で始まった。噴火前に作成されていたハザードマップでは、噴火想定域の外であった。最初の噴火は西山の古い溶岩をぶち壊して火口を形成した。その時に多量のぶち壊された岩塊が西南西方向に飛んで、洞爺湖幼稚園付近まで到達した。真上でなく斜めに飛んだことが分かる。新しい火口の近くを国道が通っていたが、国道には一面に数10㎝を超すような溶岩塊が敷き詰めたように覆った(写真2)。  

 火口が開いた後、マグマが地下水と接触して起こるマグマ水蒸気爆発が発生し、高い噴煙が上がるとともに、その基部から火砕サージが発生した(写真1)。 

 この噴煙は上空の風によって、北から北東方向に流れ、火山灰は札幌にまで達した。  

 その後、噴火は水蒸気爆発を主とするものに変わり、多数の火口が形成された。水蒸気性の噴火はその後長く続き、西山から洞爺湖温泉にかけての広い範囲で水蒸気性噴火が継続するとともに、顕著な地殻変動が生じた。

図1 有珠山2000年噴火によるテフラの分布図(火山灰は札幌の北まで達した)


 

左は全体,右は火口周辺のアップ 


単位は1平方mあたりの降下重量g

写真2 噴火初期には大量の噴石が西方に噴出した.

 

国道を覆う一面の噴石

下方は泥流で覆われ隠れる

写真3 噴石は国道の先にあった洞爺湖幼稚園を襲った.

多数の穴は噴石による.

写真4 洞爺湖幼稚園の噴石

写真5 噴火による火山灰の堆積と,その後の地殻変動によってかつての国道は見る影もなくなった.

写真6 有名な土産物であったお菓子の工場は押しつぶされた.

2.ハザードマップ

 

 この噴火は3日前の3月28日から火山性地震が多発し、3月30日には2400回余にも達したため、住民に避難勧告や避難指示が出され、16000人の住民が避難した中で発生しました。この噴火はまさに多くの住民が住み、生活する場の中で生じました。火口の1つは街の直ぐ近くに開きました。主要道路の国道、県道も破壊されました。言い換えれば、火山の領域の中に町があるのです。

 日本の火山噴火の歴史の中でも、「噴火予知の成功例」としてしばしば挙げられます。長年にわたり火山研究者と地元自治体が連携し、住民と共に努力してきたたまものといえるでしょう。

 

 

 有珠山2000年噴火から20年を機に、伊達市では洞爺湖周辺の4市町(洞爺湖町・壮瞥町・豊浦町)と共同で、「有珠山火山防災マップ」をリニューアルしました。

 有珠山は1663年の大噴火以降、20年から50年おきに合計9回の噴火を繰り返しています。

 その噴火のタイプを見ると多くは有珠山山頂部の火口から発するマグマ噴火でしたが、2000年噴火と1910年噴火(明治噴火)はマグマ水蒸気噴火・水蒸気噴火で、非常に噴火のタイプが異なります。両方の噴火とも数10個の火口がカルデラの縁付近から外に開きました。個々の規模は小さいですが、至る所に火口ができて、降灰や熱泥流を繰り返しました。重要なのは多くの人々が住んでいる市街地の直近に火口ができたことです。またマグマの地下への貫入に伴い、地殻変動が生じ、国道はズタズタになりました。

 リニューアルされたハザードマップを見ると、マグマ水蒸気噴火や水蒸気噴火型の噴火の特徴があまり記述されていないことが気になります。直近の2000年噴火とは異なるマグマ噴火型の火山噴火について知っておくことは重要ですが、一方で全くタイプの異なる2000年噴火についても同時にその特徴を示すべきだと思います。

 

 令和3年の有珠山火山防災マップ(伊達市) https://www.city.date.hokkaido.jp/hotnews/detail/00000764.html