12月16日は1707(宝永4)年富士山宝永噴火があった日

2020.12.16

1.富士山宝永噴火

 宝永4年11月23日(西暦1707年12月16日)に発生した富士山の噴火は宝永噴火とよばれ,噴火を繰り返してきた富士山の,もっとも最近の噴火として,よく知られている.同時にこの噴火は,最近約1万年間の新富士火山の噴火の中で最大規模の,爆発的噴火であった.この噴火後約310年たつが,富士山はこの間静穏であった.この1万年間に富士山は30数回の噴火をしてきたので,そろそろ次の噴火を起こしても不思議ではない.私たちは富士山の過去の噴火がどのようなもので,どのような影響を与えたのか,宝永噴火だけでなく詳しく知っておきたい.以下に登場する故宮地直道さん(元日本大学文理学部教授)は新富士火山の噴火史を明らかにするため,その生涯をささげられた.故宮地直道さんは卒業論文で宝永噴火の研究に携われた.その成果は学会誌に投稿された.大学院では新富士火山の活動史全体に及び,成果は博士論文に結実し,さらに学会誌や多くの書物に掲載された.富士山のハザードマップの基礎データともなった.

 その後,農林水産省をへて,出身の日本大学文理学部地球システム科学科で教授として教鞭をとることとなり,多くの人材を育ててきた.病のため54才という若さでこの世を去ったのは惜しまれてならない.

 以下は,宮地直道さんの教え子,杉中さんからの一文である.

 なお,写真は宮地さんがヘリコプターから撮影された宝永第一火口である.

写真1,2 宝永第1火口

 宝永噴火では3つの火口が形成された.そのうち最も高い位置にあるのが第一火口.山頂側に岩脈が露出する.ヘリコプターから宮地直道氏撮影.

2.宝永噴火と宮地先生

杉中佑輔

 宝永噴火と聞いて真っ先に思い浮かぶのは,大学時代に巡検で訪れた富士山御殿場口登山道五合目近くの太郎坊で行った露頭調査だ.軽石からスコリアに遷移していく様子や同じスコリアでも層準によって密度や表面形態が異なることが,噴火ステージや火口の違いによるものだということを恩師である宮地直道先生に現地で教えていただいた.

 この太郎坊では,1cm程度のスコリアや軽石が2m以上積もっている様子を確認できた.

 

←写真3 太郎坊にて宝永噴火について説明をする宮地先生(撮影:宮地研卒業生)

 下部の茶色に見える部分が宝永噴火直前の土壌層,その上を宝永噴火で噴出した軽石・スコリアが覆う.

 その数年後,宮地先生から宝永スコリアの粒度分析を頼まれた.手渡された試料は耳掻き一杯にも満たない粉で,くしゃみ一つで取り返しのつかないことになりそうなものだった.この試料は伊能忠敬の親戚の邸宅(千葉県香取市)で宝永噴火当時に採取されたものだと聞いた.江戸時代にもサンプリングをしていた人がいた事に驚いたと同時に火口近くの太郎坊と千葉県でのスコリアのサイズや量の違いを思い知らされた.

 

 火山灰がどこでどれだけ降り積もったかという「点」の情報は極めて重要であり,アメダスのデータのように「点」が増えるほど、より正確な等層厚線図(アイソパック)を引くことが出来るようになる.それはその噴火で噴出した火山灰の総噴出量の見積もりを可能とし,ハザードマップ作成において重要な情報となる.

 

 富士山のハザードマップは歴史時代最大の溶岩流噴火である貞観噴火と最大の火山灰噴火である宝永噴火の研究成果を基に主に作成されているが,その礎となった研究を行っていたのが他でもない宮地先生だ.「富士山の謎を探る」52~69ページに宝永噴火についてまとめられており,さらに噴火推移については宮地ほか(2011)に詳述されているので,これを機に是非とも御一読頂きたい.

 

引用文献

宮地直道・金丸龍夫・菅野 歩(2011)富士火山 1707 年噴火の推移とその噴出物の物理化学的特性の経時変化.日本大学文理学部自然科学研究所「研究紀要」,(46),219-240.

宮地直道(2006)昼間の江戸を暗闇にした大噴火ー宝永噴火.富士山の謎を探る,築地書館,52-69.

3.「富士山の謎をさぐる」

↓↓日本大学文理学部地球科学科(旧:地球システム科学科)教室がおくる富士山の本↓↓

 

富士山の謎をさぐるー富士火山の地球科学と防災学ーGaNTの図書室

4.宝永火口

 1707年の宝永噴火は12月15日に始まり,約2週間噴火が継続して,12月31日に終息しました.この噴火を起こした火口について詳しく見てみましょう.

写真1 水ヶ塚公園駐車場から. 撮影:小森次郎会員,2011年3月15日 小森次郎会員が富士山東麓におけるスラッシュなだれを調査していた合間に撮影したもの.
写真1 水ヶ塚公園駐車場から. 撮影:小森次郎会員,2011年3月15日 小森次郎会員が富士山東麓におけるスラッシュなだれを調査していた合間に撮影したもの.

 宝永噴火では,3つの火口が残されました.最も大きく形のきれいな第1火口のすぐ下方に接して第2火口,さらに下方に第3火口が位置します.実はこの数字とは逆に第3火口がはじめに形成され、次に第2火口が、最後に第1火口が形成されたと考えられています.それは火口の形に現れていて,第3火口はその後の第2火口によって本来の形がいびつになっています.第2火口も第1火口によって,いびつになっています.最後に形成された第1火口は奇麗な外形を示しますが,その後に宝永山が隆起したため宝永山側が変形しています.

 宝永噴火の噴出物は,かなり特殊な性質をもっています.杉中氏の文にある写真3には昔の土壌(褐色)を覆うのは白色の軽石(デーサイト)を主とする層です.これが最初に降った部分です.その上に黒ずんだ灰色の粒子(スコリア,安山岩)が乗っています.さらに上には黒色のスコリア(玄武岩)が乗っています.マグマの性質がこのようにデーサイトから安山岩へ、安山岩から玄武岩へと変化したことになり,ほかに例がないわけではありませんが珍しいことです.

 最初の白色の層には,極めて重い岩石の破片が含まれます.輝石やカンラン石などの結晶がぎっしり詰まったもので,ハンレイ岩とよばれます.これはマグマの性質と異なるので,マグマ上昇中に取り込まれた捕獲岩(ゼノリス)とよばれます.

 次に写真2を見てください.なぜ,玄武岩・安山岩・デーサイト・ゼノリス(ハンレイ岩)と非常に異なる軽石・スコリア,岩片が噴出したのでしょうか.この写真にヒントがあります.

写真2 水ヶ塚公園駐車場から. 撮影:小森次郎会員,2011年2月20日
写真2 水ヶ塚公園駐車場から. 撮影:小森次郎会員,2011年2月20日

写真1,2は自然災害と環境問題≫地盤災害・斜面災害のページ≫富士山のスラッシュフロー調査から転載.

URL:http://www.arukazan.jp/endo/web/foundation-slope/fou-fuji-slash-flow.html

 図1 宝永火口と宝永山の地形 宝永第2第3火口は宝永山により変形され,宝永山は宝永第1火口によりその一部が破壊されている.
図1 宝永火口と宝永山の地形 宝永第2第3火口は宝永山により変形され,宝永山は宝永第1火口によりその一部が破壊されている.

 宝永火口(左側の馬蹄形)の右隣にもう1つ大きな火口があるように見えますが,宝永山の斜面から発する谷の谷頭部(かなり丸い形)で,当時我々はゼノリス沢と呼んでいました.名前の由来は,ゼノリスとよばれる非常に重い岩片が沢山認められたことです.これは,噴火を起こした高温の玄武岩マグマが,宝永第2・第3火口付近の地下に既に存在していた(少し古い)安山岩マグマやデーサイトマグマと出会い,混合して大噴火が始まったと考えられます.さらにデーサイトマグマの上にゼノリスのもととなったハンレイ岩の岩体があって,この岩体を粉砕し吹き飛ばして噴火が始まったのです.その結果,ゼノリス沢からは沢山のゼノリスが発見されるのです.これはハンレイ岩とよばれるもので,輝石やカンラン石がぎっしり詰まっているので非常に重いので遠くには届きません.ゼノリス沢の直ぐ西側にある第3火口から飛んできたと考えられます.つまり最初の噴火は第3火口からということになります.

 このように,宝永噴火を起こした主役は主に第1火口から出た玄武岩マグマで,地下深いマグマだまりから高温の状態で上昇したと思われます.地表に近づいてやや古い時代の安山岩マグマやデーサイトマグマと混合し,最後にハンレイ岩の岩体を突き破って噴火を始めたわけです.以上の考えはMiyaji ほか(2011)に基づいています.

 

[図1は,測量法に基づく国土地理院長承認(使用)R 1JHs 928]

 

写真3-5 民間航空機から撮影されたもので、山頂から見れば随分下に宝永火口が位置します.撮影:遠藤邦彦,2009年12月19日10時頃

 

写真3-5は自然災害と環境問題≫トピックスのページ≫2009から転載.

URL:http://www.arukazan.jp/endo/web/topics/top-2009.html#091215

参考文献

Miyaji Naomichi, Kan'no Ayumi, Kanamaru Tatsuo and Mannen Kazutaka (2011) High-resolution reconstruction of the Hoei eruption (AD 1707) of Fuji volcano, Japan. Journal of volcanology and geothermal research, 207, no.3-4, 113-129.

Miyaji Naomichi, Endo Kunihiko, Togashi Shigeko and Uesugi Yo (1992) Tephrochronological History of Mt. Fuji. Volcanoes and Geothermal Fields of Japan, 29th IGC Field Trip Guide Book, 4, 75-109.