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2020年8月26日

防災アラカルト(1)

杉山一郎

 

 新型コロナ禍の中、防災図上演習で「徳之島」に行ってきた。私自身、初めての南西諸島になる。目的は、天城町行政職員向けの地震版状況予測訓練である。

 この訓練は、発災時に行政職員が所定の担当部署に参集するための問題や課題を図上で行う訓練である。大切なことは災害イメージを正しく理解できているか、行政職員としての役割が理解できているかなどについて、6 名程度の班ごとに話し合いながら、図上で行う防災訓練の一種である。

 

 近年の災害では、行政職員といえども災害に巻き込まれることが多いのが実情で、家族を亡くしたり、自身が負傷したり、災害は人を選ばずにその区域全体に容赦なく襲って来る。行政職員は、どんな時も市民のために自分に課せられた役割を果たさなければならない。それは、何の前触れもなく、地震災害という緊急性の高い条件下で、難しい問題を判断し、対応しなければなりません。また、行政職員としての責任感、使命感はストレスの対象にもなるようです。心のケアを含め、課題が多いのが現状と理解しています。

 

 さて、鹿児島県大島郡徳之島は、鹿児島県本土から南南西に約450㎞の奄美群島にあり、南北約25㎞、東西13㎞の南北に延びる離島である。島内には徳之島町、伊仙町、天城町の3町があり、徳之島町は東の太平洋に面し、西の天城町は東シナ海に面している。南の伊仙町は太平洋と南シナ海の両方に面している。

 今回訪ねた天城町は、人口5,830 人;世帯数3,085 人(R2.7.1)、気候は温暖な亜熱帯海洋性(平均気温は21.6 度)で、降雨量(年降水量は1912mm)が多く、6月頃から10月頃までは台風の常襲地帯として知られている所となります。

徳之島の概観の地形は山地と台地からなり、北部の天城岳(533m)、中央部の井之川岳(645m)、南部の犬田布岳(417m)などを中心として南北に連なる山塊が形成されている。山地のすそ野は平坦な台地となり、奄美群島最大の耕地面積を誇るサトウキビ畑などがある。低地は真瀬名川、秋利神川、亀徳川、大瀬川などの諸河川沿いと河口に若干ある程度で、海岸線とは急崖を持って接している。

 

 天城町には波の侵食作用で形成された景勝地の犬の門蓋(いんのじょうふた)という海蝕洞(写真①,②)や北部にムシロ瀬という岩石海岸(海蝕台(写真③))がある。また、徳之島町の北部には、付加体に混成したメランジュ堆積物(写真④)が観察できる金見崎がある。


写真④のメランジュは、泥岩(頁岩?)層 中に砂岩が混合している。
写真④のメランジュは、泥岩(頁岩?)層 中に砂岩が混合している。

 過去の災害を振返ると、奄美大島東方の海域では1900年以降、現在までに、M7.0以上の地震が8度発生しているようだ。

 一つは、1901年6月24日(明治34年)(M7.9) 奄美大島近海地震であり、被害等に関して、震域が広いわりには、被害は少なく、名瀬市内で石垣の崩壊等の小被害程度とされる。もう一つは、1911 年6月15 日(明治44 年)(M8.2)喜界島近海地震である。被害に関しては、喜界島で全壊住家401,死者1,石垣破損3千箇所,奄美大島で全壊住家11,徳之島で崖崩れ全壊住家5,死者5等ということだ。この海域では

1901 年から1914 年の間に集中して大きな地震が発生しているのが特徴的だ。また、M6.0 以上の地震となると、1900年以降2019年まで、38度発生している。(鹿児島県地域防災計画の地震履歴より)

 南西諸島の太平洋側ではフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込んでいる琉球海溝がある。そのため、地震はプレート境界型で、一旦、地震が起これば、津波の発生も懸念される地域と言える。記録では、ここ100 年くらい、奄美大島近海では大きな地震は来ていないようであるが、いつ来てもおかしくない地域なのかもしれない。また、徳之島町を海から見たとき、東日本大震災を想起した。それは、狭い入り江に町が形成されている景観が、大震災前の東北の街並みを連想させたことにある。

 

 今回の研修は、新型コロナ禍の中で実施したが、3密を避けることが必要となれば、今までのような図上研修の在り方も変えなければいけない時代なのかもしれない。私自身も今回の研修を最後にしばらく研修の参加を見合わせるつもりでいる。今

は、新型コロナ禍の終息を願うばかりという心境である。

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