2020.1.30 レポート⑥≪多摩川に沿う地形はどうなっているのだろうか? そこから多摩川の流れ方の特性を読み取れるのではないだろうか≫(続)

NPO法人首都圏地盤解析ネットワーク

≪多摩川に沿う地形はどうなっているのだろうか? そこから多摩川の流れ方の特性を読み取れるのではないだろうか≫

レポート②1. 国土地理院の治水地形分類図や土地条件図から読み取れること

レポート②2. 立川面の存在は何を意味するのか

レポート③3.二子玉川付近には立川面は存在するのか? その地形を検討してみよう.

レポート④4.二子玉川の対岸,および,二子玉川の下流側の地形と地層について

レポート⑤5.上流側の立川面とその細分

6.青梅付近の地形(続)

 

 前回は青梅付近の1mコンター図(白図、図11)を示したが,主としてこの図を基にして地形区分を入れてみたのが今回の図(図12)である.区分にあたって,青梅駅より上流側の Takahashi and Sugai(高橋・須貝)(2018)の区分(従来の研究例を踏まえ修正したもの)を参考にした.しかし現段階では問題点も多く,あくまでも参考例の一つである.

図12A 山崎(1978)による
図12A 山崎(1978)による
図12B 1mコンター地形図の判読による
図12B 1mコンター地形図の判読による

図12 青梅付近の地形区分案  

青梅駅付近より上流側は,従来の地形分類図に修正を加えたTakahashi et al.(2016)を参考にした.

 

 青梅駅付近より上流側では青柳面が最高位にあることはすでに述べたとおりである.青梅駅周辺では新しい段丘面によって切られており,上流側の青柳面と,下流側のTc-2面(黄色)との関係は微妙であるが,青柳面がTc-2面にかぶさっているように見えなくもない.

 青梅駅より下流側については,山崎(1978)はTc-3面(青柳面)が北側を通って不老川沿いのTc-3面に続くとしている(図A).岡崎(1967)は青梅周辺の立川ローム層の厚さを詳細に調査し,分布図に示した.この図を見ると礫層を覆うローム層の厚さはかなり変化があり,単純ではない.

 一方,青柳面がそのまま青梅駅より下流側全体に広がっているという考えもあろう.青梅付近の扇頂部では,先行して形成された扇状地の上に後からの扇状地がかぶってくるという考えは,野上(1981)の考えに通じるものである.しかし反面,かぶってくる場合には2つの面の間に崖は作られにくく,それを区分するのは極めて至難なことになる.

 一方,多摩川沿いでは,羽村のやや上流の小作付近(標高160m付近)からTc-2面よりも1~2m程低い面が現れ始める.これが青柳面にあたるものと考えられる.つまり多摩川沿いでは,小作より上流側では青柳面がTc-2面にかぶっていてもいいという解釈が成り立つだろう.その目で見れば,160mや150mのコンターを見ると,北の不老川沿いの方がやや低い傾向がみられる.図の160の数字の位置付近にTc-2面とTc-3面(青柳面)の境界を入れるとすると、その位置は山崎(1978)のそれに近い.

 もう一つ根拠が欲しいところであり,現状でどれが正しいとは言えないが,下記の2説にまとめてみた.

 

 A.山崎説の,青柳面(Tc-3面)は青梅付近から下流部では扇状地の北半分を帯状に進み主に不老川に流下する,

 B.青柳面(Tc-3面)は小作付近まではTc-2面を全体に覆っていて,小作付近から現多摩川沿いにTc-2面より若干低い青柳面を形成する.今回の図Bでは,標高170m~160mあたりまでは,青柳面がTc-2面にかぶさっているというアイデアはありうることだと考える.すなわち,野上(1981)の言う段丘面の交差である.

 

 A.,B.以外にも可能性があるであろうが,今後の実証的な研究を待ちたい.例えば,礫層を覆っている立川ローム層自体の層位の検討など.

 

引用文献

野上道男(1981)河川縦断面形の発達過程に関する数学モデルと多摩川の段丘形成のシミュレーション.地理学評論,54, 86-101.

岡崎セツ子(1967)立川段丘西端部のローム層の厚さの分布とその堆積状態.地理学評論,40,211-219.

Takahashi, T. and Sugai, T. (2018) Tributary effects on fluvial terrace development since the last interglacial in the upper Tama River valley, central Japan. Quaternary    International, 471, 318-331.  

山崎晴雄(1978)立川断層とその第四紀後期の運動.第四紀研究,16, 231-246.


2019.12.28 レポート予告≪多摩川に沿う地形はどうなっているのだろうか? そこから多摩川の流れ方の特性を読み取れるのではないだろうか≫(続)

NPO法人首都圏地盤解析ネットワーク

図11 0.5m間隔の等高線で見た青梅付近の地形   国土地理院の5mのDEMから作成した.20m毎に等高線に数字を加えた.等高線が混んでいるところでは太い実線のように見える.(本図の作成には国土地理院長の承認を得て同院の基盤地図情報を使用した(承認番号 令元情使 第659号))
図11 0.5m間隔の等高線で見た青梅付近の地形   国土地理院の5mのDEMから作成した.20m毎に等高線に数字を加えた.等高線が混んでいるところでは太い実線のように見える.(本図の作成には国土地理院長の承認を得て同院の基盤地図情報を使用した(承認番号 令元情使 第659号))

青梅付近の地形図

 地形面の境界はいれてないので、ご自由に境界線を引いてみてください.


2019.12.18 レポート⑤≪多摩川に沿う地形はどうなっているのだろうか? そこから多摩川の流れ方の特性を読み取れるのではないだろうか≫(続)

NPO法人首都圏地盤解析ネットワーク

≪多摩川に沿う地形はどうなっているのだろうか? そこから多摩川の流れ方の特性を読み取れるのではないだろうか≫

レポート②1. 国土地理院の治水地形分類図や土地条件図から読み取れること

レポート②2. 立川面の存在は何を意味するのか

レポート③3.二子玉川付近には立川面は存在するのか? その地形を検討してみよう.

レポート④4.二子玉川の対岸,および,二子玉川の下流側の地形と地層について

5.上流側の立川面とその細分

 図8によって,多摩川が青梅付近で山間部を出て,立川扇状地を形成し,さらに多摩川が立川扇状地の縁に沿って河口まで流れ下る全貌を確認してみよう.立川扇状地(図の黄緑)はそれ以前に存在した武蔵野扇状地(図ではピンク,ブルーなど5色の細い帯)の上流部を削り取って,武蔵野扇状地の南側に長大な国分寺崖線を形成したことも見ておこう.

 立川扇状地は青梅付近ではおよそ標高200mにある.立川付近では約90mとなり,調布付近で約50m,狛江付近で約20mと高度を下げ,田園調布の台地のふもとでは約10mとなって低地の標高と同じになる.さらに下流では立川面は沖積層の下に没して埋没段丘となり,羽田付近では-20m以深になる.

図8 3Dで見る武蔵野台地の地形-東方から青梅方面を俯瞰- (本図の作成には国土地理院長の承認を得て同院の基盤地図情報を使用した(承認番号 令元情使 第659号))
図8 3Dで見る武蔵野台地の地形-東方から青梅方面を俯瞰- (本図の作成には国土地理院長の承認を得て同院の基盤地図情報を使用した(承認番号 令元情使 第659号))

 武蔵野扇状地は9万年前頃から6万年前頃の間に形成された.立川扇状地はその後に形成されたのであるが,おそらく4万年前から2万年~1.3万前ごろにかけて形成されたものと考えられている.

 ここで立川扇状地が形成された年代について整理しておこう.

 山崎(1978)は,立川断層を検討する中で,立川より上流の地形を詳しく検討し,立川面を立川1面,2面,3面に分け,この地域の立川段丘面(本稿での立川扇状地)は,立川2面(Tc-2)と立川3面(Tc-3, 青柳面)が主であるとした.立川2面を覆う立川ローム層にはUGと呼んだ火山ガラスが含まれるが,姶良カルデラの3万年前(当時は2.2万年前とされていた)の大噴火に由来するAT火山灰(姶良・丹沢火山灰の略称)は認められないとした.なお,関東平野のUGやATについては,遠藤・鈴木(1980),鈴木(1991)などの報告がある.

 山崎(1978)以前に,立川面を覆うローム層の厚さが上流,下流で異なるため細分されるべきとの考え はあった(町田ほか,1971など).このころの研究の経緯については久保(2007)に詳しい.

 例えば,野川遺跡の研究(小林ほか,1971)や野川泥炭層*(千葉ほか,1982)の研究から,調布一帯ではATを含む厚い立川ローム層が存在することは知られていた.野川河川改修工事露頭の野川泥炭層では,礫層の上に泥炭に挟まれたAT火山灰が認められ,調布~狛江一帯の立川扇状地は礫層上にAT火山灰を載せる立川1面に相当するとされた(千葉ほか,1982;遠藤ほか,1983;辻,1992).写真1は野川泥炭層に挟まれるAT火山灰層の露頭写真であるが(東京の地盤編集委員会,1998の口絵写真2にも掲載されている),ATを挟む泥炭層の下に泥炭質シルト層やスコリア層があり,その下に立川礫層がある.つまり立川礫層の年代としてはATの前なので,Tc-1面ということになる.なお,泥炭層から植生史を検討した辻(1992)は立川3面としたが,それは泥炭層が離水した時代,つまり褐色ローム層が堆積し始めた時代を意味する.

図9 調布市野川河川改修工事露頭の柱状図(千葉ほか,1982を改変)
図9 調布市野川河川改修工事露頭の柱状図(千葉ほか,1982を改変)

 この野川河川改修工事露頭(図10-2;写真1)では,AT火山灰は泥炭層の間にきれいに保存され,真っ黒な泥炭層に挟まれた真っ白な火山灰の帯として見事なものであった.厚さは約6㎝近くあり,湿地に乱されずに堆積した極めて保存の良いもので,当時感激したことが思い出される.ATの下位に数層のスコリア層があり,ATから礫層に至る間は2m近い厚さがある.このように,通常はテフラが乾いた陸地上を覆う場合を想定して,テフラによって地形面の年代を決定するのが原則であるが,泥炭層中にテフラが堆積した時の考え方について触れておきたい.フラッドロームなどテフラが水付き状態で礫層などを覆う場合はかなり多いが,この場合に注意すべきはそのテフラが降下後に再移動・再堆積したかどうかである.再移動・再堆積している場合は,そのテフラの降下後を意味し(降下後ならいつでもいい),必ずしもテフラの降下した時代を意味しない.野川泥炭層の場合は,後に泥炭層となった湿地に乱されずに堆積したもので,一次堆積とみなされる.つまり再移動はない.テフラの降下年代は該当する泥炭層の層位に対して与えられる.立川礫層からみれば,礫層の堆積後におもに4層(薄いものを含めると7層)のスコリア層が降下し,泥炭地が生じた時期にAT火山灰が降下したので,AT火山灰の降下を3万年前とすれば,立川礫層は3万年よりかなり古い年代を示すことになる[因みに鈴木(2000)はTc-1面を約4万年, Tc-2面を3~2万年,Tc-3面を2~1.5万年と考えている].このように,立川ローム層中にAT火山灰が散在するケースよりは野川泥炭層のケースはずっと正確であることになる.換言すれば立川礫層が堆積した年代は,AT火山灰降下前の7層目のスコリア層の層準が最も近い,ということになる.

 ここで,この露頭における泥炭層形成の意味であるが,立川礫層の時代に多摩川は武蔵野面を削り国分寺崖線を発達させた.多摩川が流路を南に移した後,国分寺崖線沿いに湧水の供給が多く,野川に供給されるとともに,野川沿い一帯には湿地が形成された.野川泥炭層は,多摩川の南遷後に立川礫層上に湿地的環境が残されたことを示している.その後立川ローム層の上部に覆われた.その地形は周囲の立川(1)面と区別はできないので,ここでは立川礫層が連続することから立川1面とする.野川固有の湿地堆積物がつくる段丘面という可能性もないわけではないが,泥炭層の広がりは不明である.

 なお,野川泥炭層にはATを含め合計25層のテフラが挟まれていた.ATを除く24層はスコリア層と判断したが,多くは白色化していて,カンラン石も失われているものが多く,古富士スコリア層との個々の対比は残念ながら困難と思われた.

写真1-1 野川露頭の立川ローム層と泥炭層中のAT火山灰層(千葉達朗撮影) 露頭基部に立川礫層.
写真1-1 野川露頭の立川ローム層と泥炭層中のAT火山灰層(千葉達朗撮影) 露頭基部に立川礫層.
写真1-2 野川泥炭層中のAT火山灰層(千葉達朗撮影) スケールのボールペンが指すのがAT火山灰層.スコリア層に挟まれている.
写真1-2 野川泥炭層中のAT火山灰層(千葉達朗撮影) スケールのボールペンが指すのがAT火山灰層.スコリア層に挟まれている.

*1981年に行われた野川護岸改修工事によって野川大橋付近(N35°38’42”,E139°35’5”)で立川ローム層,泥炭層,立川礫層が露出した(地表の標高は約27m).

 この西方近くの調布市富士見町の明治大学校地において遺跡発掘調査に伴い,立川面の検討がなされている(上杉・上本,2005;中井ほか,2006など).立川礫層を覆うテフラとしてはAT(Y-117)やその下位のY-108テフラが認められた.大磯丘陵などで確立されたこの時期のテフラ層序が対比された例として重要である.

 その後,久保・小山(2010)はATを載せる立川1面の分布範囲を明らかにした.立川より上流部では,国分寺崖線に沿う一部地域を除き,立川2面が広い範囲をカバーしているとした.立川より下流側での立川面がTc-1なのか,Tc-2なのかは,あまり明確な答えが出ていなかったが,久保・小山(2010)では立川から府中,調布においては立川1面が広く分布し,立川2面は多摩川沿いに細く分布することを図示した.この研究ではハンドオーガーを用いて立川ローム層を16地点で採取し,AT由来の火山ガラスをロームから洗い出して,そのピーク位置を確認する分析を行って,AT層準を求めた.

 府中から調布一帯では,立川面は多摩川に沿ってやや低い面を伴っている.これが立川2面に相当する可能性がある.言い換えれば立川扇状地はAT 火山灰降下のあと,河床を侵食し始め,河道を南寄りに移動させたことを示唆する.

 そこで,久保・小山(2010)を参考にして図8の基になる地形区分図(一部)を修正したのが図10である.微細な地形境界を配慮している.なお,渡辺ほか(2017)は立川断層南部の存在について,変動地形学的観点から検討したが,立川面群のTc1面,Tc2面,Tc3面の分布について異なる見解を示しており,立川より上流部での立川面の細分は今後改訂される可能性が残される.

図10-1 立川より上流
図10-1 立川より上流
図10-2 府中・調布~田園調布
図10-2 府中・調布~田園調布

図10 改訂版 武蔵野台地の地形区分(立川面を中心に)

  黄緑色:立川1面,黄色:立川2面,Ay:青柳面,Ay':青柳面より若干高位の面,Hj:拝島面

  遠藤ほか(2019)の図4の一部に,久保・小山(2010),等の知見を加えて作成(本図の作成には国土地理院長の承認を得て同院の基盤地図情報を使用した)(承認番号 令元情使 第659号) 

 次に図8,図10で立川扇状地と南側の丘陵との間の白地の部分に注目してみよう.ここに青柳面(立川3面)と拝島面等が存在することは,古く寿円(1966)の時代から議論されてきた.鈴木(2000)は,特に青柳面について注目し,青梅より約20㎞上流の氷川では最高位面をなし,礫層も非常に厚く.その縦断形は最も急であることなどから,青柳礫層を沖積層基底礫層(BG)に対比している.青柳礫層や拝島礫層は,果たして下流部につながっていくのであろうか.この問題は,後に最下流部の埋没段丘面を検討する中で論じたい.

 なお,多摩川最上流部の段丘地形の発達については,高木(1990)による詳細な検討がなされており,青梅市の立川面以降の段丘地形については角田(1981)に詳しく記載されている.

 最近では,Takahashi & Sugai (2018) が多摩川最上流部の段丘面について,支流からの土砂供給の影響が極めて大きく,縦断面にも反映されることを論じており,青柳面の発達との関係で注目される.

 このように,青梅より上流側で最高位に存在する青柳面の性格や,それが青梅の出口から広がる扇状地部にどのようにつながるのかは非常に重要な課題である.

 これにも関連して,野上(1981)は青梅市の千ヶ瀬から河口(羽田)まで,さらには浦賀水道の沖積層埋没谷の末端までの88㎞にわたって,多摩川(途中で古東京川に合流)の段丘面の河床縦断面形による検討(シミュレーション)を行った.その結果は多摩川の地形発達をほぼうまく説明できるとしている.その中で,最上流部の青柳面は青梅付近の立川面上をoverflowし,10~15㎞付近で段丘面は交差し,その下流では,青柳段丘は立川面の下位に位置し,段丘崖を形成することなどが読み取れる.言い換えると,上流部ではoverflowがあるため段丘崖は見られず,その細分は難しくなっている.またこのように考えると,多摩川が不老川沿いに川越方面に流下した時期がTc-3面(青柳面)の時代であることもよく説明できる.

 青梅を中心とする範囲の地形区分図は作成中で,近日中に公開予定.

(続く)

引用文献

千葉達朗・羽鳥謙三・遠藤邦彦・宮地直道・鈴木正章(1982)調布市野川泥炭層の研究(その1:立川ローム層のfall unit 区分).日本地質学会学術大会講演要旨,p.115.

遠藤邦彦・関本勝久・高野 司・鈴木正章・平井幸弘(1983)関東平野の沖積層.アーバンクボタ,21,26-43.

遠藤邦彦・鈴木正章(1980)立川・武蔵野ローム層の層序と火山ガラス濃集層.考古学と自然科学,13,19-30.

小林達雄・小田静夫・羽鳥謙三・鈴木正男(1971)野川先土器時代遺跡の研究.第四紀研究,10巻4号,231-252.

久保純子・小山(2010)多摩川左岸における立川段丘面の区分の再検討.早稲田大学教育学部学術研究(地理学・歴史学・社会科学編),58,23-41.

久保純子(2007)多摩川の流路変遷と野川・多摩川間の地形の変遷―立川段丘の区分に関連して―.野川流域の旧石器時代(考古学リーダー),75-84.

Kubo, S. (2002) Buried Tachikawa Terraces in the lower Tama River Plain corresponding to marine isotope stage 3. Geographical Reports of Tokyo Metropolitan University, No. 37, 15-24.

町田 洋・鈴木正男・宮崎明子(1971)南関東の立川,武蔵野ロームにおける先土器時代遺跡包含物の年代.第四紀研究,10巻4号,290-305.

中井 仁・上杉 陽・野口 淳・明治大学校地内遺跡調査団(2006)立川礫層最表層部の層位と堆積環境―明治大学調布付属校用地の遺跡ピットT164の例―;明治大学調布付属校用地の遺跡(仮称)の調査(2)礫層.日本第四紀学会講演要旨集,36,128-129.

野上道男(1981)河川縦断面形の発達過程に関する数学モデルと多摩川の段丘形成のシミュレーション.地理学評論,54, 86-101.

角田清美(1981)青梅市の地形.青梅市の自然,129-210,青梅市教育委員会.

鈴木正章(1991)立川ローム層最上部UG火山灰の層序と岩石化学的特性.道都大学短大紀要,25,87-97.

鈴木毅彦(2000)多摩川の河成段丘―気候変化と海面変化に支配された侵食・堆積史.貝塚ほか編「日本の地形 4.関東伊豆小笠原」,117-121,東大出版会.

高木信行(1990)多摩川の段丘地形とその形成過程.第四紀研究,28,399-411.

東京の地盤編集委員会(1998)東京の地盤.ジオテクノート,No.7,126pp.地盤工学会.『口絵写真2』 辻 誠一郎(1992)東京都調布の後期更新世野川泥炭層から産した花粉化石群.植生史研究,1,21-26.

Takahashi, T. and Sugai, T. (2018) Tributary effects on fluvial terrace development since the last interglacial in the upper Tama River valley, central Japan. Quaternary International, 471, 318-331.

辻 誠一郎(1992)東京都調布の後期更新世野川泥炭層から産した花粉化石群.植生史研究,1,21-26.

上杉 陽・上本進二(2005)明治大学西調布校地のテフラ層位推定に関して.シンポジウム「立川ローム層下部の層序と石器群」予稿集,8-11.

渡辺満久・中田 高・後藤秀昭(2017)変動地形学的特徴に基づく立川断層南部の再確認.地震,70,81-87.

山崎晴雄(1978)立川断層とその第四紀後期の運動.第四紀研究,16, 231-246.

2019.12.2 レポート④≪多摩川に沿う地形はどうなっているのだろうか? そこから多摩川の流れ方の特性を読み取れるのではないだろうか≫(続)

NPO法人首都圏地盤解析ネットワーク

≪多摩川に沿う地形はどうなっているのだろうか? そこから多摩川の流れ方の特性を読み取れるのではないだろうか≫

レポート②1. 国土地理院の治水地形分類図や土地条件図から読み取れること

レポート②2. 立川面の存在は何を意味するのか

レポート③3.二子玉川付近には立川面は存在するのか? その地形を検討してみよう.

4.二子玉川の対岸,および,二子玉川の下流側の地形と地層について

 前回の図3に加筆した図3'と図6を並べて再度見てみよう.図3’は図3と同じだが,図3'にはⒶ,Ⓑのような記号が目印に追加されている.

図5 府中・調布~二子玉川~田園調布一帯の地形分類図(遠藤ほか,2019などに基づき一部修正)
図5 府中・調布~二子玉川~田園調布一帯の地形分類図(遠藤ほか,2019などに基づき一部修正)

 図5に各断面図の位置を示すが,図3‛は二子玉川付近を通る国道246号線沿いの断面である.一方図6は約1.7㎞程下流にあたる第三京浜道路に沿うものである,図7は2.5㎞下流の武蔵新城~雪谷(田園調布のやや南)の断面である.このうち第三京浜道路については,すでに松田(1973)によって断面図が示されている.今回作成した図6とほぼ同様の断面であるが,松田(1973)の断面には河床部分のデータがあるので,図6ではこの河床部分のみを取り入れた.松田(1973)には図3の246号線断面図に極めて近い位置にある田園都市線の断面図も示されていて参考になる.

図3' 国道246号に沿う断面図(図3に加筆) バーはN値を示す
図3' 国道246号に沿う断面図(図3に加筆) バーはN値を示す
図6 第三京浜道路に沿う断面図(多摩川河床部は松田(1973)を参考にした)  To:東京層(世田谷層)
図6 第三京浜道路に沿う断面図(多摩川河床部は松田(1973)を参考にした)  To:東京層(世田谷層)

 図3'と図6で,共に顕著なことは多摩丘陵寄りにかなり深い谷があって,礫層など(図3'のⒶ,Ⓑ,,Ⓓ)で埋まっていることである.つまり埋積谷の存在である.埋積谷が形成された順序は立川面の後でなければならない(立川ローム層がないので,同ローム層の後である).この谷は幅約1.2㎞で,地表から約28mの深さがある(基底の標高は-13m).このように深い谷は海水準が低下していた時代につくられたに違いない.246号線の断面ではこの埋没谷が2層の礫層(図にⒷ,Ⓓを付す)によって埋められている.Ⓐの堆積面はかなり平坦で,ここでは溝の口面と仮称しておく.

 一方の図6は,国道246号線より約1.7㎞下流に位置する第3京浜道路に沿うものである.南寄りの2本の柱状図は図3'の埋積谷部とよく似ている.谷の幅は他のデータが浅いため推定になるが,礫層の下位に直ぐに上総層群が現れるところ(Ⓔ付近)を縁と仮定すると,約1.2㎞である.基底の標高は約-19mと若干深くなる.図3'と図6の埋積谷はつながった一連の谷であることは間違いない.なお,古い文献であるが寿円(1966)には,「第三京浜の架橋工事の際に,厚さ2mの河床礫の下に,厚さ2~3mの立川礫層が見られた.河床礫は青味がかっていて新鮮で粗粒,立川礫は褐色を帯び古そうに見え,砂や細礫のレンズがある」と書かれている.

 Ⓔ地点には立川ローム層が残されている.ここから第3京浜道路料金所にかけて立川礫層が連続するが,立川ローム層は侵食されているところが多い.礫層上面の標高は,5~7m,礫層基底(上総層群上面)の標高は0m前後にそろっている. 

 

 このように図3'の国道246号線,松田(1973)の田園都市線,図6の第三京浜道路の3つに共通して現れる谷は,一連の古多摩川が形成した化石谷で,松田(1973)も,この古多摩川による化石谷は「立川段丘形成後,最終氷期の最大海面低下期までに形成された」と考えた.つまり谷を埋める堆積物は沖積層である.

 

図7 武蔵新城-等々力緑地-久が原を通る断面図
図7 武蔵新城-等々力緑地-久が原を通る断面図

 続いて,図7の断面図を見てみよう.多摩丘陵の北縁(新作)付近から南武線の武蔵新城付近を通り,等々力緑地を経て,多摩川を越えて久が原台に至る断面である(位置は図5参照).ここは図3や図5と比べるとやや複雑である.図3'でⒶ~Ⓓとある埋積谷は南端から武蔵新城付近にあり,幅は約1㎞である.この武蔵新城の谷では下位の礫層(Ⓓ)はあるが,その上半部は泥や砂の沖積層になっていて,Ⓑの礫層が見られない.ところが,武蔵新城から武蔵中原にかけて標高0~4m付近に礫層(Ⓗ)が見られる.Ⓑの礫層が埋積谷の範囲から北東側に抜け出したと考えるのがよいようである.すなわち,埋没谷の形成以後ずっと谷の中を通っていた多摩川の河道が,低地の中央~東寄りに移動したものと思われる.その東方,現多摩川との間に薄い礫層が点々と続くのも同様のものであろう.

 図3,図6とこの図7の谷がつながった一連の谷であることは,間にあるボーリングデータをチェックすることによって分かる.

 図7では武蔵中原から等々力緑地にかけてⒾとマークした礫層が上面の標高で-2m,下面の標高で-6~-7mに発達する.これは,二子玉川付近で上面8~9m,下面3~5m,第三京浜で上面5~7m,下面0m,と徐々に標高を下げてきた立川礫層に相当することは間違いないだろう.

 図7にはさらに,複雑な要素が認められる.上記立川礫層の下位にあるⓀを付した泥層で,基底に薄い礫層を伴っている.泥層のN値は10~20で東京層(世田谷区では世田谷層)と考えられるが,ここでは主題でないので,本レポートでの議論は控える.

 もう一つは,Ⓙの礫層である.データが少ないので断定はできないが,ここまで立川礫層と呼んできた立川段丘面を立川1面(Tc-1)とすれば,立川2面(Tc-2)の可能性が強い.上流側でも立川1面の南側にやや低位の立川2面が認められている.この立川面の細分に関する問題は後に再度議論する. 

 以上のように,立川面は狛江-喜多見周辺では標高25m,その対岸の溝の口面は標高22mにあるが,二子玉川付近では,立川面,溝の口面ともにほぼ標高15mとなり,武蔵新城~武蔵中原付近では標高約10mの溝の口面の方が逆転して高くなる.そこでは立川面は沖積層下に埋没していて,あまり明瞭ではないが,標高は約2m程度と推定される.それぞれの地形面の標高の変化については図5の等高線(太線が10m毎,細線は5m毎)に書き込んだ数字で確認いただきたい.いずれにしても,立川面と溝の口面(沖積面)との地形の逆転は多摩川の流れ方に影響しているに違いない. 

図8 武蔵野台地の地形区分図(3Dによる) [本図の作成には国土地理院長の承認を得て同院の基盤地図情報を使用した(承認番号 令元情使 第659号)]
図8 武蔵野台地の地形区分図(3Dによる) [本図の作成には国土地理院長の承認を得て同院の基盤地図情報を使用した(承認番号 令元情使 第659号)]

 図8には青梅から流れ下る多摩川の経路と立川面の発達の様子を全体的に示す.

 図5,図8などに基づく全体的な検討は次のレポートで述べることとしたい.

文献

寿円晋吾(1966)多摩川流域における武蔵野台地南部の地質(1),(2).地学雑誌,75,185-199,266-281.

松田磐余 (1973) 多摩川低地の沖積層と埋没地形.地理学評論,46,339-356.

NPO法人首都圏地盤解析ネットワーク  (K.E., T.C., S.O., S.I., J.K. & W.K.)


2019.11.15 レポート③≪多摩川に沿う地形はどうなっているのだろうか? そこから多摩川の流れ方の特性を読み取れるのではないだろうか≫(続)

NPO法人首都圏地盤解析ネットワーク

レポート②≪多摩川に沿う地形はどうなっているのだろうか? そこから多摩川の流れ方の特性を読み取れるのではないだろうか≫

1. 国土地理院の治水地形分類図や土地条件図から読み取れること

2. 立川面の存在は何を意味するのか

3. 二子玉川付近には立川面は存在するのか? その地形を検討してみよう.

 立川段丘面(以下立川面,Tc面)を見極めるには,立川礫層をおおう厚さ数mの立川ローム層を見つけなければならない.地下数mより深いところが何でできているかを知るにはボーリング資料を参考にするのが優れた方法である.かなりのボーリング資料が東京都から公開されているから,それを利用するのが良い(東京の地盤GIS版).ここでは川崎市側のボーリング資料と合わせて検討した.

図3 国道246号線(厚木街道)沿いの断面図 バーはN値を示す。
図3 国道246号線(厚木街道)沿いの断面図 バーはN値を示す。

 図3の断面図は,国道246号線(厚木街道)に沿って、瀬田付近から二子玉川のやや北を通り,新二子橋で多摩川を渡り,さらに溝の口駅のやや北で多摩丘陵に至るルートである.

 図の柱状図で,オレンジ色が礫層ピンク色が関東ローム層水色は泥層黄色は砂層である.

 柱状図の背景の色は地層を表している.薄いオレンジ色は立川礫層武蔵野礫層,濃いオレンジ色が東京礫層である.水色は東京層(世田谷層),薄紫色は沖積層(A)を示す.

 全体に下位に現れる緑色は上総層群で,多摩丘陵はこの100万年~200万年前に海に堆積した泥岩を主体とした地層でできている.当時はこの地域を含めて横浜から東京、埼玉、千葉までに広がるかなり深い海が存在した.その後全体的に陸地になり,過去数10万年間は約10万年の周期で海が入って来たり,引いていったりを繰り返した.図の右手(北東側)は環状八号線が通る瀬田付近で,標高35m前後の武蔵野面(詳しくはM2a面:仙川面)である.約10mの厚さの関東ローム層の下に武蔵野礫層があるが,そのさらに下には東京層(世田谷層)とよばれる12-13万年前の海(下末吉海進)に堆積した地層がある.この台地の脇、丸子川と書いてあるところに大きな崖がある(国分寺崖線とよばれる).国道246号線も田園都市線もこの比高20mを超す斜面を下って,問題の二子玉川付近の低地に至る.

 しかし,従来低地とされてきたこの付近の地形は詳しく見ると意外に複雑である.国分寺崖線から野川の間は,標高12~13mの低地であるが,深さ4~5m(標高7~8m)に礫層があって,かなり連続している.野川のそばではこの礫層の上に関東ローム層が乗る.厚さから立川ローム層と判断できるので,この部分は立川面である.しかし,それより丸子川との間にはローム層がなく2~3mのシルト・粘土層が堆積する.国道246号線の周囲のデータを見ると,関東ローム層があるところとないところの両方がある.つまり,ここはかつては立川面(段丘面)であったのが,丸子川が度々氾濫を起こして,立川ローム層を一部を除きはぎとってしまったと考えるのがよいだろう.丸子川を上流にたどると,仙川や谷戸川が合流したものであることがわかる.豪雨時には武蔵野台地から大量の水を集めて,普段は流量がわずかで小さな丸子川に流れ込んでくると思われる.二子玉川は前面(西側)の多摩川とともに,背後(東側)の丸子川からも脅威を受ける位置にある.

 はじめに述べた立川面についてまとめておくと,従来喜多見付近までとされてきた立川面は,途中切れ切れながらも二子玉川周辺にまで追跡できることが分かった.治水地形分類図では鎌田という地名のある所まで台地とされているが,確かにこの付近にも氾濫原より若干高い立川面を確認できる(範囲はやや異なるが).同図で氾濫平野(氾濫原)とされてきた丸子川沿いはその通りの地形であり正しい.同図で黄色で彩色された自然堤防・微高地の部分には,立川面が存在するケースが多い.

 このように,同図で台地としてオレンジ色に彩色されたところであっても,立川面に該当するところは氾濫原と1m程度の比高しかない,浸水するかしないかギリギリの位置にある.立川ローム層が残されている断片化された立川面は,確かにこれまで多摩川や丸子川(仙川や谷戸川)による洪水を免れてきた場所には違いないが,それは紙一重の差であったといった方がいい.

 繰り返しになるが,狛江・喜多見より下流側にも立川面は存在する.しかしこの地域の立川面は周囲の低地(氾濫原)とほとんど高度差がなく,野川,仙川,谷戸川,丸子川等の氾濫を受けて断片化している.「立川面イコール台地」と考えてしまうと,災害リスクの観点からは大きな問題になる.いわば、『洪水時冠水危険台地』なのであるから.

 なお,断面図(図3)の河床部分については,北の縁に野川の谷があるものと想定できるが,多摩川河床部にはデータが乏しい.周囲のデータや河床断面図を参考に仮の線を引いておいたが,この説明は次回にまわしたい.

図4 二子玉川周辺の地形分類図(遠藤ほか,2019などに基づく)
図4 二子玉川周辺の地形分類図(遠藤ほか,2019などに基づく)

 以上の検討結果を地形分類図にまとめてみた(図4).立川面は狛江~喜多見一帯から二子玉川を経て,田園調布の低地部まで細く延びている.今回の作業で改められることになる喜多見より下流側の立川面には同じ黄緑に斜線を施している.この部分は立川面ではあるが,治水地形分類図(国土地理院)の上で台地としてくくるのはさすがに問題が多い.なお、立川面が田園調布の近くまで追跡されることについては古くに指摘がある.野川遺跡の記述に関連して述べられているが,具体的な根拠や図などは示されていない(小林ほか,1971;町田,1971).また,Kubo(2002)では多摩川下流部で立川面が埋没することなどが詳しく論じられている.

 図3に戻って,対岸の多摩川の右岸側(川崎市側),溝の口一帯を見てみよう.ここには厚い礫層が上総層群に切り込む幅広の谷を埋めている.これが下流部に発達する顕著な沖積層の埋没谷の上流側延長部にあたる.埋没谷の深さは標高-12mまで,地表から25m強の深度にあたる.この埋積された谷については川崎市環境地質図(1981)によって検討され,この断面に近い高津駅のボーリングコアで,標高-13mに礫層の基底が捉えられている.礫層の下位は上総層群である.図3では-12mをとっているが実際は-13mにあると考えるべきである.

洪水ハザードマップ  2019年台風19号災害においては各地で洪水ハザードマップの有効性が確認された.この地域も世田谷区等から洪水ハザードマップが刊行されている.危険区域等の結果だけでなく,なぜそうなるのかを理解するためには,並行して国土地理院の治水地形分類図や土地条件図などを参考にすることが望ましい.さらに,2019年台風19号による洪水は,その有効性とともに,それらにもまだまだ改善の余地があることも示していると言えるだろう.

 今回述べた二子玉川周辺より下流側や多摩川の右岸側については,次回に述べたい.

 

引用文献(続):

小林達雄・小田静夫・羽鳥謙三・鈴木正男(1971)野川先土器時代遺跡の研究,第四紀研究,10巻,4号,231-252.

町田洋・鈴木正男・宮崎明子(1971)南関東の立川,武蔵野ロームにおける先土器時代遺跡包含物の年代,第四紀研究,10巻,4号,290-305.

Kubo, S. (2002) Buried Tachikawa Terraces in the lower Tama River Plain corresponding to marine isotope stage 3. Geographical Reports of Tokyo Metropolitan University, No.37, 15-24.

(文責:K.E., T.C., S.O., S.I., S.H., Y.S. & W.K.)


2019.11.6 レポート②≪多摩川に沿う地形はどうなっているのだろうか? そこから多摩川の流れ方の特性を読み取れるのではないだろうか≫

NPO法人首都圏地盤解析ネットワーク

図1 東京都調布市〜神奈川県川崎市の地形(国土地理院「治水地形分類図」に基づく)
図1 東京都調布市〜神奈川県川崎市の地形(国土地理院「治水地形分類図」に基づく)

1. 国土地理院の治水地形分類図や土地条件図から読み取れること

 多摩川に沿って,調布市付近から世田谷区,川崎市多摩区から高津区・中原区にかけての地域の治水地形分類図を切り取り、若干の記述を加えたのが図1である.台地(武蔵野面と立川面が含まれる)は褐色(オレンジ色)で示され,低地側はうぐいす色の氾濫原,黄色の自然堤防・微高地*,旧河道などを見分けることができる.これによって多摩川に沿う台地と氾濫平野(氾濫原)の地形を眺めてみよう.

 

 1974年に狛江市で起こった多摩川決壊は宿河原堰の狛江側であったが,丁度旧河道が存在したところであった.多摩川の河川敷(標高19~20m)より2~3m高い立川面は浸水しなかった.〔図には堤防を挟んで測線が200m毎にひかれている.数字は河口からの距離〕.

 

*:微高地:一般面との比高が0.5~1m程度以上あるもの。

図2 二子玉川付近の地形(国土地理院「治水地形分類図」に基づく)
図2 二子玉川付近の地形(国土地理院「治水地形分類図」に基づく)

 図2は図1の二子玉川付近を拡大したものであるが,さらにいくつか加筆している.図1,図2ともに地形分類は原図のままである.そこに武蔵野面と立川面の文字を加えている.また,河川敷と氾濫原、自然堤防などの堤内地の標高も読み取って示した.河川敷からの比高を大づかみに捉えておくと良いだろう.この区間では旧堤防や暫定堤防,暫々定堤防が設置されているが,説明を加えた.概査によると,2019年の台風19号では,多摩川の水位が上昇し,濁流がほぼ記入した矢印のように暫々定堤防や暫定堤防の外側(堤外地)にある住宅地に浸入したものと思われる.

 対岸の平瀬川合流点では,本流の水位の上昇に伴い,平瀬川に逆流した結果,浸水が生じたと推定される.

 

<堤防の種類>

完成堤防:予想される最大流量に対して必要な高さと断面を持つ堤防

暫定堤防:予想される最大流量に対して必要な高さはあるが、完成の計画に至っていない堤防

暫々定堤防:予想される最大流量時の水位より低い堤防

旧堤防:昭和50年代に作られた地形分類図で土堤としている部分 

2. 立川面の存在は何を意味するのか

 多摩川に沿って武蔵野扇状地の扇頂にあたる青梅付近から立川扇状地が広く発達している.多摩川が5万年前〜2万年前頃に形成したものであるが,現在の多摩川はこの扇状地の南縁に沿って切り込んだ谷を形成しているので,この扇状地は立川段丘面(立川面)とよばれる.この面が立川付近から府中,調布,さらに下流まで延びて,狛江,喜多見付近にまで達する.したがって立川面は河川敷よりかなり高く,厚さ2m~5mの立川ローム層で覆われていて,段丘化後には多摩川が溢れては来なかったことを示す(多摩川の流れが来れば表層のローム層や土壌は侵食されるので).したがって多摩川沿いでは立川面は非常に重要な意味を持っている(広大な面積を占め,多くの都市が立地するが,比較すれば水害のリスクは小さい).ただし,多摩川の河床勾配よりも立川面の勾配がやや急であるため,従来は喜多見付近で見られなくなるとされてきた(河床縦断面図を描くと喜多見の下流で交差し,立川面は河床や沖積低地の下に埋もれている形になる**).

 なお、国土地理院の『土地条件図』や『治水地形分類図』では立川面の範囲は台地として一括されており,立川面より高位にある武蔵野面と区別されていない(両図では低地より1m以上高い平坦地を台地とする).その区別は非常に容易であるので,なぜ区分されなかったのかと思う.それは調布市や府中市などでは立川面は多摩川の河床より10m強高いのであるが,その高度差は徐々に小さくなっていき,狛江,喜多見付近では1~2m程度となる.多摩川の水位上昇の程度によっては台地上であっても必ずしもリスクが小さいとは言えなくなるからである.因みに武蔵野面は河床より20m~30mも高い位置にあリ,その間には国分寺崖線という明瞭な崖が続く(国分寺崖線については本ホームページの「地盤なう」『多摩川がつくった長い崖,国分寺崖線』を参照されたい).治水地形分類図の詳細は国土地理院(https://www.gsi.go.jp/index.html)の「治水地形分類図解説書(https://www.gsi.go.jp/common/000190936.pdf)」を参照頂きたい.

 

**かなり昔になるが「新編日本地形論(吉川ほか,1973)」のp.145に,貝塚原図として丁度喜多見より下流側に埋没段丘面の分布が示されている.当時は地下のデータが限られていたため概念的に図示したものと考えた方がいいが,以後この考えが踏襲されてきた.

 

 二子玉川や世田谷区の多摩川に面する地域では,この立川面と沖積低地(多摩川やその支流の氾濫原,および縄文海進の時に母体が形成された海岸平野)の比高は極めて小さくなり,あるいはほぼ拮抗する高さとなり,下流部では立川面は沖積層の下に埋没する.喜多見から二子玉川にかけての地域は特にその変わり目の位置にあるのである.

 この地域の地形や堆積物についてはすでに詳しく検討されたことがある.川崎市側だけであるが,川崎市から「川崎市環境地質図調査報告書(1981)が刊行されている.さらに,産総研の地質図では,「東京西南部図幅(岡ほか,1984)」において詳しい地質図が刊行されている(地質図Naviから見ることができる).武蔵野台地の地形区分については最近見直しがなされつつある(遠藤ほか,2019)が,立川面については検討に含まれていない.これらも参考にして,当地域の立川面についてさらに見てみよう.

 

 次回は断面図を用いて立川面を中心に二子玉川付近の地形を検討します。

文献

川崎市(1981)川崎市環境地質図調査報告書.101p.

岡 重文・菊地隆男・桂島 茂(1984)地域地質研究報告,東京西南部地域の地質.5万分の1地質図幅,地質調査所(産総研),159p.

遠藤邦彦・千葉達朗・杉中佑輔・須貝俊彦・鈴木毅彦・上杉 陽・石綿しげ子・中山俊雄・舟津太郎・大里重人・鈴木正章・野口真利江・佐藤明夫・近藤玲介・堀 伸三郎(2019)武蔵野台地の新たな地形区分.第四紀研究,58巻,6号(印刷中).

(文責:K.E., T.C., S.O. & S.I.)


2019.11.6 レポート①≪二子玉川付近を歩いてみた≫

NPO法人首都圏地盤解析ネットワーク